Q1 谷先生の経歴を教えてください
私は2008年に慶應義塾大学を卒業し、その後さいたま市立病院で初期研修を行いました。2009年に内科学教室に入局し、慶應義塾大学病院と済生会中央病院で1年間ずつ内科全般の研修をし、2012年に呼吸器内科に入局しました。当時、同期のほとんどが大学院に進学するという不純な動機で入局と同時に私も大学院に入学しました。
大学院では、安田浩之先生の熱い姿勢に惹かれ、肺癌グループに参加することを決めました。肺癌グループでは副島研造先生(現・山梨大学呼吸器内科教授)と安田浩之先生の指導のもと、臨床研究と基礎研究に積極的に取り組みました。偶然ではありましたが、先輩方から引き継いだ肺癌の前向き臨床試験に携わる機会を得るだけでなく、基礎研究では分子標的薬の耐性化機序に関連する研究を行いました。大学院時代は多くの方々に迷惑をかけながらも、先輩・同期・後輩のサポートを受けながら、2016年3月に大学院を修了し、国家公務員共済組合連合会立川病院に出向しました。そこでは大学病院とは異なる環境の中で楽しみながらも忙しく勤務しましたが、その中で臨床医として多くの経験を得ることができました。その後、2019年9月から2022年8月までDana Farber Cancer Institute(ダナファーバー癌研究所)に留学しました。帰国後は東京都済生会中央病院で呼吸器内科医として臨床に専念しながら、留学時代の延長となる研究にも携わり、多くのやる気のある若手から刺激を受けながら充実した勤務を続けています。
Q2 留学先での研究や生活について教えてください
ボストンのDana Farber Cancer InstituteにあるDavid Barbie博士の元で3年間の基礎研究留学を行いました。私のボスはアメリカの臨床医としても勤務し、研究テーマも臨床に直結するトランスレーショナルリサーチを数多く行っており、私自身の研究テーマも免疫チェックポイント阻害剤の耐性を克服するための新規治療開発という臨床に即したテーマでした。留学中は拘束される時間が少なく、ほとんど全ての時間を自由に使うことができ、自分のペースで研究を進めることができました。朝早くから夜遅くまで働くことも自由ですし、早めに帰ることも、ラボに行かないのも自由。研究テーマをどのように進めるかを自分の責任で進めるのが、「ポスドク」であるというボスの言葉の通り、研究の進め方は本当に自由な研究室で休暇の日程や日数を含めて自分で調節していました。
私は朝早く仕事をして早く帰るのが好きだったので、朝早くから研究をして区切りがつき次第帰るという生活を行なっていました。研究自体は肺癌細胞株を用いて、CRISPR /Cas9などの技術を使い、遺伝子編集および自然免疫経路に関わる実験を行いました。それらの実験は大学院時代に行っていた研究に近く、その際の経験が非常に役立ちました。 また、他の人も指摘する通り、アメリカではコラボが多く、他の研究室との関わりも非常に多く、数えきれないくらいのプレゼンテーションを行いました。当初はプレゼンのたびに怯えていたのが、繰り返すうちに、英語力の伸びに関してはかなり怪しいですが、メンタルはどんどん強くなりむしろ日本人研究者にプレゼンする会の方が緊張するようになりました(笑)
3年間の留学生活はCOVID-19のロックダウン期間もあったこと含めて、あっという間でしたが、多くの素晴らしいラボメンバーにも囲まれて、自分のペースに合わせて研究を進めることができ、本当に充実した3年間を過ごせました。帰国前には、このまま海外での研究者で残りたいと思うほどで、それは留学前の自分からは想像もつきませんでした。
研究以外に関しても、ボストンには世界中から多くの研究者が集まっていますが、日本人研究者も非常に多く、海外での生活のセットアップから、海外生活で起こる様々なトラブルの際には助けてもらうことで快適に生活を送ることができました。
日本人が多いこともあり、大谷選手がやってきたMLBのエンジェルス対レッドソックスの試合ではボストン中の日本人が集まってきたのかというくらい周り中で日本語が飛び交っていました。
/p>Q3 留学の楽しいこと、つらいことを教えてください
海外での生活は新しいことだらけで刺激が多く、飽きやすい性格の自分にとっては幼少期の夏休みの頃に戻ったようで非常に楽しかったです。
神様のごとく良い性格で物凄く優秀なだけでなく、スポーツ・趣味も凄まじい人から、信じられないくらい平気で嘘をつく人まで(笑)、今まで会ったことないような価値観の人との出会うことができました。今でもラボメンバーとは頻繁に連絡をとっており多くの国に友人ができたのは貴重でした。
研究に関してもクリニカルクエスチョンに対して真正面から向かう研究に触れられて、非常に有意義でした。
ただ、やはり英語の問題やシステムの問題で辛い気持ちになることもあり、ミーティング後はうまく伝えたいことが伝えられないことに対して落ち込むこともありました。ただ、そういった生活を行っていると、幸せの閾値が下がるからか、以前より多くのことに幸せを感じられるようになり、それは帰国後も続いていて、人生の幸福度が上がった気がしています。
ただ、金銭面に関しては非常に厳しいのは事実で、アメリカの物価上昇に対してポスドクの給料で生活するのは非常に困難であり、私自身も帰国後に、必死に取り戻すべくがむしゃらに働いています。
Q4 医局の後輩、入局を考えている方へメッセージをお願いします
現在は多様なキャリアがあるので、医局という世界に入るか含めて色々な考えがあると思います。医局にはそれぞれ利点、欠点も多くあるかと思いますが、私は留学したことで、医局を少し外側から見ることができた結果として、慶應の呼吸器内科には本当に一緒に働きたいと思える先輩、同僚、後輩が多いことを改めて感じることができました。
キャリアを考える中で、自分のやりたいことをするというのは、もちろん大切ですが、私はそれと同じくらいどのような人と働くのが大切だと思っているので、その仲間を作る意味でも慶應呼吸器内科はおすすめです。